AIに泣ける話を頼んだら、母の愛の物語が返ってきた


 母が倒れたのは、僕が19歳のときだった。
 医師から「覚悟をしておいてください」と言われた時、僕は泣くどころか、妙に冷めた気持ちでその白衣の男を見ていた。
 (何言ってんだ、こいつ。母さんが死ぬわけないだろ)
 あまりに非現実的すぎて、きっと脳が現実を直視するのを拒否したのだ。


 入退院を繰り返す生活が始まってからも、僕のその感覚は変わらなかった。
 なぜなら、病院にいる時の母は、いつだって「不真面目」だったからだ。


 「あ、啓太。来てくれたの? 見て見て、この芸人めっちゃ面白いよ」


 見舞いに行くと、母はいつもベッドの上でバラエティ番組を見て、ケラケラと笑っていた。
 癌病棟の重苦しい空気などお構いなしだ。
 僕が深刻な顔で「体調はどう?」と聞いても、「んー? 今は全然平気。それよりさ、コンビニで新作のプリン買ってきてよ」と、お使いを頼んでくる。
 (この人は、自分が死ぬかもしれないって分かってるのか?)
 僕は次第に、母に対して苛立ちを覚えるようになった。
 こっちは毎日不安で、夜も眠れないのに。当の本人がこんなに能天気で、危機感がないなんて。


 母の頬がこけてきても、点滴の数が増えても、彼女は僕の前では必ず派手な口紅を塗り、「病院食は味が薄い」と文句を言い続けた。
 「母さんは強いね。病気のことなんて気にしてないみたいだ」
 ある日、皮肉交じりにそう言うと、母は鏡で前髪を直しながらあっけらかんと言った。
 「だって、暗い顔したって治るわけじゃないしねぇ」
 僕はその言葉を聞いて、見舞いに行く回数を減らした。
 母の「強さ」が、僕には「現実逃避」に見えて、腹が立ったからだ。


 そしてある冷たい雨が降る朝。
 母は、あっけなく逝った。
 最期まで、苦しい素振りも見せず、眠るように。


 通夜が終わった後、病院へ荷物を引き取りに行った時のことだ。
 ずっと母を担当していた看護師さんが、僕に一冊のノートを手渡してくれた。
 「お母さん、啓太くんが来る前は、いつもこれで時間を計っていたのよ」


 それは、痛み止めの管理記録だった。
 中を見て、僕は息が止まった。
 そこには、分刻みで壮絶な闘いの跡が記されていた。
 
 『13:00 激痛あり。でもまだ我慢する』
 『13:30 痛みが限界に近い。でも、16時に啓太が来るかもしれない』
 『14:00 ここで鎮痛剤を使ってもらう。今使えば、啓太が来る頃にはちょうど効いて、笑顔で喋れるはず』


 母が「不真面目」に見えていたあの時間は、すべて計算された「演技」だったのだ。
 
 看護師さんが静かに言った。
 「お母さん、痛みが強くなると、どんなに苦しくてもお化粧を始めるの。『あの子に、やつれた死にそうな顔を見せたくない。いつもの元気な母さんとして記憶に残りたいの』って」


 僕の前で見せていたあの明るさも、派手な口紅も、バラエティ番組への笑い声も。
 すべては、現実を受け入れられずに怯えていた僕を、安心させるための必死の演出だった。
 身を切り裂くような激痛を、笑顔の仮面一枚で押さえ込んでいたのだ。


 「……嘘つきだよ、母さん」


 僕は誰もいない病室で一人、冷たくなったベッドに目をやった。
 母さんは現実逃避なんてしていなかった。
 僕なんかよりずっと深く、自分の「死」という現実を見つめ、それと闘いながら、最期の瞬間まで「母親」であろうとし続けてくれたのだ。


 僕の目からとめどなく落ちる涙で滲んだノート、最後のページには、震える文字でこう書かれていた。


 『今日も啓太が笑ってくれた。』

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